恩師のメッセージ

数年前恩師飯田深雪先生のお写真の額を久しぶりに新しくしようと手に取りましたら、写真の裏に以下の先生のメッセージ が書いてありました。

『人と心から信頼しあい、楽しい交流を持つには、何より家へお招きして、腹蔵なく正直で、虚栄心のないお付き合いをすることです。』

西欧には「お客様を自宅に招いたら、お帰りになるまでずっと愉快に過ごさせる責任がある」と言います。家族全体で快くもてなすことです。主婦はお客様が喜んでくださるような、食卓のセッティングを念入りにし、メニュー作りをされれば最高です。

折々の先生のインタビューで「おもてなしは、お客様がほしいだろうなと思われるものをそろえておだしする。これが基本ですよ。」「心を込めた美味しい料理は、五感をよみがえらせ幸福をよびます。そしてもてなされる側は感謝でいっぱいになるのは、どんな時代でもおなじですね。」とおっしゃっています。

恩師のメッセージは私の料理の原点ともいえます。飯田先生は100 歳を過ぎてもお手紙をお出しすると必ず直筆のお返事をくださいました。

先生からのお教えは主人も全く同じ考えで良く似ていると思うことがありました。私の子ども時代は今の様に豊かな時代ではありませんでしたが、お客様がいらっしゃる前日はお掃除を念入りにし、気持ちよく過ごしていただけるよう心くばりをしていた母の姿をみて育ったこともしあわせでした。

初めての料理本出版ですが、少しでもお料理の楽しさ、旬の美味しさ、おもてなしの喜びをお伝え出来たら嬉しく思います。

スープの話

お見舞いに持参して喜ばれること一度ならずですが、昨年の夏、スープをお届けしてとても感動したことがありました。永年、鎌倉婦人子供会館の運営に貢献された先輩がいらっしゃいました。80 歳で引退された後、これからはご自分の好きな科学や宇宙の勉強をなさると張り切っていらしたのに、とつぜん病魔に襲われた由。私が妹とご自宅にスープを持ってお見舞いに伺ったときは、もうほとんどお分かりにならないご様子でした。

後日お嬢様から封書のお手紙が届きました。「翌朝、頂いたコンソメをスポンジに浸して舌の上にのせましたら、目を見開き明らかに反応をしめしました。お昼にはトマトスープを『これは糠澤先生がお母さんのために作って下さったのよ』と声をかけながら舌に置くと、何日もなかった大きな大きな笑顔を見せてくれました。うれしくて、二度三度と舌にのせるとその都度笑ってくれました。極上のスープで母の笑顔を私たちに見せて頂き、家族全員感謝の気持ちでいっぱいです。美味しいものに触れて、少しでも生きることへの執着を取り戻してくれたのだとしたら、これほどの良薬はありません」

残念ながらその後亡くなられてしまいましたが、もっと早くお届けすれば良かったと臍を噛んだ次第です。しかし、料理が持つ力のようなものを改めて感じ、まことに作り手冥利に尽きるエピソードとなりました。在りし日の先輩に思いを馳せつつ、原稿を書きながらお嬢様の手紙を読み返して涙が止まりません。

てっちゃんのフライパン

主人が長年愛用していたアメリカ製のキッチン用具ですが、現在私にとっても手放せないアイテムになっています。“スペシャルオムレツ”(レシピ番号45 )に使用したのがこの二つに分かれたフライパンです。柄の長いスプーンは頑丈でとても使いやすく、主人は殆どの料理にこれを使っていました。茹でこぼす水切りは柄を何度もペンキを塗っては愛用してきましたがボールや鍋のふちにあてザルを使わずに済みます。片手鍋は厚底で蓋には空気穴がついていて程よく蒸気が抜け煮えがわかります。どれも河童橋道具街でも同じようなものは見たことがなく我が家の家宝です。

深雪スタジオに勤めていた時、大学時代からの親友に誘われてアメリカ大使館のテニス同好会に参加するようになり、そこで主人と出会いました。ある時帰りにテニス仲間と家に招かれましたが、雑談している1時間位の間に見たこともないキャセロール料理や大皿料理が何品も並びビックリしました。どれも美味しくて10 人近い人たちの胃袋を充分満足させてくれました。日本ではまだ「男子厨房に入らず」が常識だった時代に、殆ど普及していなかった電子レンジと、オーブンを駆使しての手際の良さと独創性は、正にあっぱれでした。結婚当初お料理の腕前は主人の方が遥かに上でした。

 

主人と姪に捧ぐ

 漠然と喜寿に料理本を出版したいとのかねてからの思いが、2016年12月に主人が亡くなり、弔問のお花に囲まれた主人の写真と会話していた時に、お料理を通して主人の追悼と感謝の本にしたいとの思いに変わり、姪の夫(デザイナー)に相談し、全面的にお任せすることになりました。カメラマンと一度も打ち合わせもせず撮影日が決まり、不安で不安で仕方がありませんでしたが、姪の諭花に「おばちゃまはお料理だけ作ってくだされば大丈夫」と言われ、スタートしました。

 それから春、夏、秋、冬と撮影がすすみ、丁度一年前の今日(2018年2月4日)が“四季のおもてなし”の最終撮影日でした。クリスマスとお正月の料理を一日で撮影するので大変緊張していましたが、スタッフ全員気合が入り、無事終えることができました。

 撮影後原稿がなかなかはかどりませんでしたが、漸く八分通り仕上がった段階で諭花が体調を崩し入院しました。入院中私の原稿を読んでメールをくれましたが、昨年暮れに退院しこれから一緒に頑張ろうと思っていた矢先、2019年1月14日天に召されました。撮影時私には気づかない細かな配慮をし、的確なアドバイスをしてくれた諭花、黙々とクロスのアイロンがけをしていた姿が忘れられません。本の完成を見ずに逝ってしまい本当に残念でなりませんが、娘の様に可愛がっていた主人が、天国で大きな手を広げて諭花を迎え入れたような気がします。二人とも戌年生まれの食いしん坊、どんなおしゃべりをしているのでしょう。